月別アーカイブ: 2015年9月

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2015.09.10 Thursday

憂さ晴らしの悪例

皆さん今晩は、代表の前田です。
雨が酷くて大変ですね。
関東圏では川の氾濫や土砂災害なんかも聞こえてきて、被害に遭われた方々には深くお見舞い申し上げます。
漸く明日にはこの状況も改善されるようで、少しは気が晴れそうです。
気が晴れると言えば、少し前にコンビニでイヤな絡み方をしているお客サマを見かけました。

どうもクレームに対し、店員側が即座に陳謝しなかったことに対して不満を持っているようで、レジの前で説教しているようでした。
私も含め、他の客たちもそれを迷惑がっているようで、随分と嫌なものを見てしまったなという気がしました。
そのお客サマが大きな声で言っていたのが「常識だろ!」というのも、自身のもやもやを募らせるきっかけになったのかもしれません。

常識なんて人それぞれ、私からすれば些細なことでねちねち店員を締め上げているお客サマの方がよっぽど非常識に感じられました。
何かいらいらすることでもあったのかもしれませんが、それを相対的に反論しづらい立場である店員に向かって発散しているように見えたその光景は全く持って気が晴れませんでした。
ではでは

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2015.09.09 Wednesday

空気が抜ける

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日の雨は久々に土砂降りという表現が似合うような激しい天気でした。

とはいえ、ほとんど屋内で生活してたので、実害自体は移動くらいしかないのですが。。
さて、今日のテーマは「気を抜く」です。

今日たまたま複数で仕事をしていたのだけれど、相手の気が緩んだのかちょっとびっくりしたことがありました。

そう、まるでここが自宅であるかのように自然に屁をこいていたのです。

私がびっくりしてそちらを向くと、自分でも気が付いたのか「あ、すまん」としどろもどろに。。

屁自体は生理現象のようなものですから出すなとは言いませんが、ああまで自然と軽快な音を鳴らされると逆に自分が空気のような扱いを受けている気がしました。

個人的には自分の存在が空気扱いされていることに驚愕したものです。
とはいえ、人は気が抜けると思いもよらないことをしでかすということもよくわかりました。
屁が出そうになったら、出来るだけ音を出さないように細心の注意を払うか、お手洗いに駆け込んでしまいましょう。
ではでは

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2015.09.08 Tuesday

楽をするのは悪ですか?

皆さん今晩は、代表の前田です。
雲も気分も晴れない日々が続きそうです。

歩くことで移動時間に余裕ができたのか、いろいろと考える時間が増えたのはいいことですが、建物の中に入るとやはり濡れた洋服のことを考えなければならなくなり、洗濯が増えてしまいます。
洗濯と言えば、世の中便利なものが増えてどんどん楽な時代になったと昔の人は言いますね。

洗濯でいえば、板ではなく洗濯機が。
炊事でいえば、かまどではなく、炊飯器が。
性能の課題はあるものの、掃除までロボットが自動で行ってくれています。

スーパーに出向けばお弁当やレトルトが充実し、手間がかかった物でさえ比較的短期間にできるようになりました。

しかし、それでも今の世の中楽になったと唱える若い人たちは少ないように感じられます。

結局、そうした手間が省けることによって生まれた余裕もなぜか消えてしまうのです。
そうして忙しい自慢から苦労自慢になって大変さの優劣を競うようになる。

人は忙しい病から抜け出せないわけですね。
個人的にはずっと忙しいのは精神衛生上大変良くないので(緊張状態が続くわけですから)、一定の線引きをしてほしいところです。
ではでは

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2015.09.07 Monday

消化サイクル

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日は、秋らしい曇天でした。
しばらくは傘が手放せそうもありません。

さて今日のテーマは、「流行」のお話。

誰だったか、流行は作れる何て言葉をどこかで聞いたような気がします。

今では、そういった流行の種をまく人を仕掛け人と呼んだりして陰の立役者も表舞台に立つことが増えてきました。

しかし、流行のサイクルが異様に早くなった現代で、そうした数多の仕掛け人たちもなかなか苦労されているのではないでしょうか。

掃除力とか、整理術とか、思考法とか、時短術とか、ビジネス書の世界にもそうした短いサイクルを一生懸命追いかける追随者が後を絶ちません。

自分が流行の立役者になり、時の人気者になること自体はとても素晴らしいことですしうらやましくもあります。

しかし一方で流行が過ぎ去ったあとの身の回りを想像すると、その落差に閉口してしまいそうです。

打ち上げ花火のように大勢を魅了することができても、人生はその一瞬の後も続いていくのです。
ではでは

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2015.09.06 Sunday

イベント

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日は、久々に私的な友人と過ごす一日を送りました。
時間が過ぎるのが早くて驚いてしまいました。

世間では文化祭の季節なのか、コンビニ等で頻繁に学園祭のポスターを見かけるようになりました。

というわけで、今日のテーマは「催事」です。
私も今月23日に地球感謝祭へ大量のPSPソフトを出品する予定ですが、イベントごとならではの売り上げというのは、なかなか馬鹿に出来ません。

神社の催事でもお祭りに露店が必ず出るのは、出典の手間を含めてもそれだけ利益が見込める売り場だからです。
ただの割引だったら賞品に目もくれないと思いますが、感謝祭セールの割引であれば売れることがあります。

それだけお祭りごとは大事なのです。

しかし、商店街では基本的に補助金を受けられる催事は年二回と定まっており、他の商店街と合同で主催してようやく年三回の補助金申請が行えます。
イベントごとで年二回というのは多いように感じられますが、実際は様々な制約があり、上手く機能させるのは大変です。

金銭が絡まない文化祭でさえあれだけ多くの人間が長い時間をかけて作り上げるわけですから、金銭が絡んだ場合はもっと厄介になります。

機会を与えられていても地域振興に向けて有効に活かすことができない催事は少なくないように感じられます。
ではでは

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2015.09.05 Saturday

楽な業界はない

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日は歯科に行ったり、本を運んだりとなかなか動き回った気がします。

でもまあ、最近運動不足を感じていたので、ちょうどよかったのかもしれませんが。
今日のテーマは、「氷山の一角」です。
至極当たり前の話ですが、ビジネスにおいて、一握りの成功の陰にはその数十倍、数百倍の失敗が隠されています。

例えば、小説家という職業。
最近、出版社が様々な形で将来有望な作家を見つけ出そうと様々な形でアプローチをかけています。

自ら小説投稿・ポータルサイトを運営したり、様々なジャンルの文庫を立ち上げては文学大賞を作って新人を発掘しています。

しかし、需要に比べて供給が多くなればそれだけ需要にあぶれる供給者が出るということです。
始めは有望視された人間の才能が売り上げというわかりやすい指標で評価を受けなくなったとき、
出版社は作家を育てようと考えているのでしょうか?
偏見ですが、発掘活動に比べて新人作家が作家として長生きしているというお話を私はあまり耳にしません。
にも拘らずスポットライトを浴びているところだけを見て、楽そうだと見るのは氷山の一角です。
どこだって、上手くいく人の裏にうまくいかなかった人が大勢いるのです。
ではでは

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2015.09.04 Friday

どうぞよろしく

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日は第三期(私自身二期目)となる新宿区の産業振興会議の第一回会合がありました。

一番初めに区長から委嘱状を受けて、さっそく今期の議事進行について話が始まりました。

個人的には唐突なことが多くて、ちょっと慣れるのに手間取りましたが、幸い二期目ということもあり、周りの方々にも支えられながら二期目も頑張っていきます。
ではでは

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2015.09.03 Thursday

左手でマウスを動かす。

皆さん今晩は、代表の前田です。
少し前に腕が痛む云々の話をしていたと思いますが、今日ようやく重たい腰を上げて病院に診察に行ってきました。

いきなり腕の中央部をぎゅっと押され、痛みの有無を聞かれてX線でさらに確認をしてもらったところ。。。

結果は「腱鞘炎」。
おお!腕を日々酷使している人がなるといわれる例のあれです。
自分もそれなりに酷使しているのかと思うと、なんだか感慨深いものがあります。

腕が痛むのは勘弁ですが、ちょっとシップ等で様子を見て状態が改善しなければ再診してもらいましょうか。
そんなわけで、今日のテーマは責任の所在です。

五輪関係でこんな記事を見つけました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150903-00000030-asahi-soci

子どもの頃の幻想ですけれど、大人というものは自分のしたことに責任を持つかっこいい人間というイメージがありました。

しかし、善行より悪行が世間を賑わせ易いというメディアの影響もあるのかもしれませんが、子どもの頃の幻想は打ち砕かれました。

勿論悪いことを指摘されたことへの罰というのは誰もが避けたいものです。
私自身もそういう気持ちがないとは言いません。

しかし、そうした姿勢のままではいつまでたっても問題は解決しませんし、良い方向に道は進みません。
ではでは

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2015.09.02 Wednesday

最適化は無駄を省くことであって、賃金をケチることではない

皆さん今晩は、代表の前田です。
今日は、髪を切り個人的には随分とすっきりしたものですが、傘を忘れそうになったりとうっかりは変わらず心機一転とはなりませんでした。
さて、今日は最適化と価値の手品について。

世の中には色々な作業があり、ものによっては最適化できることもあります。

無駄を排除し、最適化を推進する一例が工場のラインです。
作業が効率化することによって生産量の上限が上がるわけですから、無駄を排除することは非常に大切です。

しかし、一方で最適化の適応を受ける従業員にとっては自身の価値を安くみられるようになったことにほかなりません。

なぜなら、効率化によって同じ時間に処理する商品の数が増えたのにもかかわらず、自身の給与には反映されないからです。

資本論でもこの価値の手品は経営者にもたらされる利益となって貧富の差を広げることになるでしょう。

生産性が上がった際には従業員の給与に反映してこそ等価となるわけです。

ではでは

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2015.09.01 Tuesday

デザイン業界はどうなるのだろうか。。

皆さん今晩は、代表の前田です。
もう完全に秋の季節を実感しています。
ついでにいえば、体調が一番不安的な時期でもあります。

どうも体がこわばって神経過敏に陥ってしまいます。

一段と気を引き締めて、日々を過ごしていきたいものです。
さて、話は大きく変わりますが、大きくニュースになっている五輪デザインのお話。

パクリだの、オリジナルだのと二転三転した話題でしたが、ついに委員会の方でデザインを取り下げるという判断がなされ、記者会見が行われました。

個人的にはなぜここまで話がこじれたのか、よくわかりません。

昔と違って今の社会はネット全盛期。
例え一つの見解の違いであっても、多くの人から批判を浴びた時点でデザインを取り下げる判断をしていれば、ここまで大きな話題にはならなかったかもしれません。

この問題はデザイン業界全体に大きな波紋を残しかねない事態になりました。
真っ当な仕事をされているデザイナー様方にとっては冷や水をかけられたかのような大きな問題になってしまいました。

日本社会におけるデザイン業のイメージを著しく貶めたと言っても過言ではないでしょう。
ではでは