皆さんこんばんは、代表の前田です。
今日は、身近でよく謝っている人を見かけたので、テーマを反省文にします。
普段からブログを書いていて、まるで反省文のようだと思ったりしたこともありましたが、そもそも反省って何のためにしているのでしょうか。
子どものころに学校で悪いことをして反省文を書くことになった経験のある方はいますか?
私は過去に反省文をもらったことがあるのですが、なんとも気恥ずかしい気持ちになったものです。
書く方も貰う方もあんまりうれしくないものです。
しかし大人になってもこの反省文は名前を変えて存在しています。
始末書とか謝罪文とか。
形あるものを残すことで反省の意思を促すためだと思うのですが、結局生産的なことには使われず。
責任の所在を明らかにとか、減点方式の指標なんてのも考えられますが、反省文に費やす時間をより生産的なものへ活用すべきだと思うのです。
今まで述べたのはあくまで反省の意思がある人の反省文のあり方で、反省の意思が弱かったり、なかったりする人は反省文のマイナスの効果が懲罰的に生きてくるのかもしれません。
ともかく、反省文を残す意義ってあまりなさそうというお話でした。
ではでは
たしかに。反省できる人に反省文書かせるのって無駄とただの嫌がらせだなー。
だのに、世の中には反省を覚えるべき人が他人に反省を強要する事例が増えててイヤになる。