月別アーカイブ: 2015年3月

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2015.03.11 Wednesday

営業代行の営業活動

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

最近寒さがぶり返してきて、体調管理が大変です。

とはいえ、寒暖の落差が激しいくらいならずっと寒い方が調子が良いです。

 

さて今日は営業代行について。

少し前に営業の電話を頂きました。

 

内容は営業の代行業。

売り手が不得手とする営業活動を代行して売り上げに応じた手数料を得る。

 

最近のビジネスは買い手が不明瞭なことが多いです。

明確な価格設定、安定的な集客で利益を確保することは容易ではありません。

 

だからこそ、それを実現させる営業を代行する需要が生まれるわけです。

自社製品を店頭価格と同様にネットで売るのも広告代行です。

 

例え商品あたりの利益率が下がっても、広告費や売り上げ増が見込めるのであればどんどんやってみることです。

 

以前に多様なことを書いたのですが、なぜこれを再考したくなったかというと、今日はやたらと営業の電話や営業マンさんがお店にやってきたからです。

 

節目の替え時が狙い目ということなのでしょうか。

 

ではでは

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2015.03.10 Tuesday

口ばかり動いていませんか?

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、おせっかいについて。

最近は耳にしませんが、啓発セミナーであなたのためだから、と懸命に説法を説いている方がいるようです。

 

確かに、相手の立場に立って最適な道を示しているつもりなのかもしれませんが、相手の立場に立っているだけで相手そのものになったわけではありません。

しかし、自分だったらこうするだの、なぜ私でもできることが出来ないのかとおせっかいなのか神経を逆なでしているのかわからないようなことをいう方がいます。

 

助言自体は、当事者意識がない分客観的で的を得ているのかもしれません。

しかし、助言を受け入れてもらえるかどうかは当事者意識抜きには語れません。

 

それを踏まえたうえで以下の三つの条件を満たすことが重要です。

・相手が助言を受け入れられる状況かどうか

・相手の批判ではなく、評価をしているかどうか

・相手との信頼関係が出来ているか

 

そうでなければ、只の説教、的外れなアドバイスとなってしまうでしょう。

お互いにとって有益なことをわかりやすく短く丁寧に伝える、それが最も有効な助言です。

 

長々と説教をすることで得られるもの、与えられるものなんてほとんどありません。

口よりも手を動かす。口先より行動で示す。

 

ではでは

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2015.03.09 Monday

いくつになっても日々精進

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、ちょっと頭が痛い。。

体調不良とかではありませんが、慣れないことはするものじゃないですね。

 

今日は、新宿区の産業振興会議がありました。

いつも通り末席で好き勝手に話してきたわけですが、この二年の任期もそろそろ集大成。

 

会議の成果を報告するための内容作りに事務局の皆さんがまい進中です。

 

以前書いたとおり私は一番の若輩者ですが、ビジネスのアンテナは一番ぼけているのかもしれません。

というのも、会議の二次会で話題に上がった本が

なのです。

 

勿論分厚い日本語版を読んだ方、わかりやすい解説書を読んだ方、およその概念だけ把握している方様々でしたが、いつになっても読書と成長を貪欲に求める他の委員の方々の姿勢は、大先輩として尊敬します。

 

私はビジネス書を扱う人間として完全に出遅れていて、明日品物が届くという体たらく。

ビジネスの情報は鮮度が命と言われていますが、 完全に発酵してしまっている気がします。

 

ちなみに、この本目当てにあんとれボックスに寄られても、当店には在庫がないのであしからず。

勿論買取は歓迎いたしますよ!

 

ではでは

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2015.03.08 Sunday

挑戦への道

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、久々に起業家ネットワークらしいことが出来ました。

といっても、当初の予定通りというわけにはいきませんでしたが。。

 

それでも、自分がやりたかったことの一部でも実現できることの有難味を噛み締めています。

 

では今回は選択肢についてのお話。

ジンセイに選択はつきものです。そして、選択肢が多いほど人より選べる道が多く、幸運です。

 

どんな生き方をしていても選択が存在する。

例えば、不登校な人や家に篭っている人。

 

自ら選択を放棄して逃げているだけだと思うかもしれませんが、現実は想像よりも複雑です。

しかし、他の選択肢から逃げるということ自体、一つの選択なのです。

 

選んで決めた道なのです。それが正しいかどうかなんてそれこそわかりません。

しかし、世の中には始めから選択肢が少ない人がいます。

それこそ逃げるという選択さえできないような人が。

 

よそはよそ、うちはうちとよく親に叱られたことがあるかもしれませんが、不幸比較ではなく選択肢比較して見てください。

逃げるという選択が出来る時点で、それができない人よりあなたは選択肢が多く、幸運だと言えます。

 

自分が不幸だと言える時点でいうほど不幸ではないというのは、的を得ていると思います。

勿論選択肢の中にはより苦悩が待ち受けているかもしれませんし、得られるものがない場合もあるかもしれません。

 

しかし、選ばなかったことで得る機会を失うわけです。

 

というわけで、青色申告頑張ってやってみませんか?

 

ではでは

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2015.03.07 Saturday

本自体の旬はやはり長い方がいい

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日も雨に降られてしまいましたが、最近研究の成果か普通に歩いてもそれほど濡れない歩き方のコツをつかんだので、少しだけ憂鬱な気持ちが減りました。

 

さて、世間では就活解禁に合わせてあんとれボックスでも採用や就職に関わる本が少し出ています。

一般的に古本業として魅力が低いビジネス書ですが、数少ない利点は季節によって売れやすいものが明白だということ。

12月~2月あたりは確定申告や資産運用、転職についての本。

今の時期なら、就活や採用、新入社員向けの教科書、自己啓発など。

あくまで目安ですが時期によって求められているジャンルが集中しやすいわけです。

 

逆に言えば、時期を過ぎると一気にその本が余るようになるわけで、見極めが大事です。

とはいえ、昔に比べるとやはりビジネス本の価値は低くなりつつあります。

 

一部の高価格、高付加価値本を除けば大抵の本が出版後数年で中古市場で見向きもされなくなる。

これは、本を出す背景が昔と違って、「世間に認められた結果出た本」から「世間に認めてもらうために出す本」となり、名刺代わりに本を出版する人が増えたからだと思う。

 

名刺代わりに本を出すこと自体は悪くない考えだし、自分の企画が通ったことは素晴らしいことだけれど、出版した後その本が世間的にどのような価値を持つかまで考えているかどうかは分からない。

出版を経て得られる短期的な収益にばかり目がいっている気がする。

 

本は良くも悪くもその人を形作り、指し示すものになる。

自分自身をブランドとして売り込む行為だ。

 

それが一過性で終わるような内容でいいのだろうか。

少なくとも数年は読む人にとって価値があると思わせる内容であってほしいと思う。

 

ではでは

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2015.03.06 Friday

感情に携わる職務

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は帰宅時に雨に降られました。

どうも気分が下がります。

 

さて、今日はそんな気分にかかわることについて。

人は自分が思っている以上に感情や体調に成果が左右されます。

 

どんな時でも一定の成果は得られるかもしれませんが、壁を突破するのに通常の心持ではなかなか前に出ることはできないでしょう。

経営も同様に一定以上の成果を求めるには相応の覚悟が必要になります。

 

それを目標、ビジョンと呼ぶのであれば、複数の気分の方向性を収束してビジョンに導くリーダーという職務はやはり貴重なものであると言えます。

しかし、リーダーは存在が希少であるが故の悩みが生まれます。

 

組織内の人員と異なる視点で物事を判断することが多くなるため、リーダー自身が悩みを抱えていてもそれを組織内で共有しにくいというものです。

 

「誰が監視者を監視するのか」という言葉がありますが、組織のメンバーから相談を受けやすいリーダーの立場からすれば、自分が相談したいときに誰にも悩みを告げられないなんてことにもなりかねません。

 

そこでカウンセラーやコンサルタントなどの外部組織に頼ることになるのです。。

人に関わる職務というのはそれだけ責任があるということでしょうか。

 

ではでは

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2015.03.05 Thursday

自分を棚から降ろす

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、承認欲求について。

人は誰しも、周りから認められたい、褒められたいという欲求があります。

 

しかし、食べ物のみならずありとあらゆる出来事の飽食化が進んでいる現代で、周りから認められるようになるには洗練したものが必要になります。

加えて学校の教室や職場という狭い環境ならともかく、比較対象が世界規模になったため非凡なものはより目立ちにくくなりました。

 

そうすると承認欲求がくすぶったままの人がどんどん増えるわけです。

承認欲求が満たされないというのは、一体どういう弊害が起きるのでしょうか?

 

私はその弊害の一つに「他人を認めることがなかなかできなくなる」があると考えられます。

 

承認欲求を満たしていない人が、他人の承認欲求を満たすような行為を避けるわけです。

その基準は人によって様々でしょう。

 

しかし、そうすると互いに互いを認められずにもやもやする。

そして承認欲求が募ってゆく。その繰り返しです。

 

その負の連鎖を断ち切るには自分がまず断ち切る意思を見せること。

自分のことを棚に上げるのではなくて、棚から降ろして周りを認めるようにする。

具体的には

・相手の話をちゃんと聞く。

・相手の良いところを口に出してほめる。

・相手に自分がどれだけ助けられているのかを伝える。

 

それで十分です。

自己啓発セミナーとかではよくやる手ですが、相手の自己紹介から褒める部分を見つけ出して互いを褒めるなんてことがあります。

 

人を認められる人が周りから認められるようになるわけです。

すぐに効果が出るとは限りません。

 

でも、いいことをしたらいいことは返ってくる。

 

ではでは

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2015.03.04 Wednesday

予想外を作り出す。

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、随分と穏やかな天候でした。

これが続くと花粉が舞って大変ですが、雨に降られるのも憂鬱です。

 

しばらくはおとなしくしておきます。

さて、今日はちょっときになった記事があったので紹介。

渋すぎるボードゲーム「枯山水」、ヒット開発者も驚く

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150304-00000036-asahi-soci

日本独自の文化と風習をふんだんに生かした内容です。

私はこうした予想外のヒットというのがなかなか好きです。

ボードゲーム好きのみならず、他の客層からも注目を集めたという点で、まさにヒットと言えます。

 

既存の市場のみならず、新しい層から評価を得る。

商いで成功するには、そうした思いもよらぬ成果を秘めた可能性というものに投資が不可欠です。

 

枯山水の制作会社であるニューゲームズオーダーは、日本のボードゲーム業界で着々と勢力を伸ばしている会社です。

今ま注目されつつも日本語化が出来なかった作品を日本語化して販売。

その上、今まで旨みが少ないと言われていたボードゲーム低価格路線を切り開いています。

 

少人数から、低価格で出来るパーティゲームをお探しの方は是非しらべてみては?

掘り出し物に出会えるかもしれませんよ?

 

ではでは

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2015.03.03 Tuesday

我慢?切り替え?

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日は、不安定な天気で、いつもよりずっと冷え込んでいた気がします。

その上花粉症の影響か目がかゆくなりはじめました。

 

我慢我慢。

 

そういえば、起業家は事業が軌道に乗るまで我慢の連続だと言われている。

確かに、事業計画書通りに採算が取れるようになることは難しいだろうし、そうでなくとも途中の資金繰りが難しいと言われている。

 

開店したと思った店舗が半年もせずにもぬけの殻なんてこともたまに聞く話ではある。

でも、どんなにいい人であっても周囲の評価が得られるようになるには膨大な時間が必要になる。

 

逆に信用を失うのは一瞬。

どんなに我慢していても、一つの綻びですべてが無駄になることも。

 

勿論、客観的に判断してうまくいかないからと方向転換する切り替えの良さも必要。

 

どちらかが良いというわけではなく状況に応じて使い分けが必要なのだろう。

 

ではでは

 

追記

私が今まで利用していたクロネコメール便が3月末で廃止となり、新サービス「宅急便コンパクト」と「ネコポス」が発表されました。

法人・個人事業者向けメール便代替サービス「ネコポス」の料金は配送数量に応じて変動する模様。

価格によっては郵便局のクリックポストへ移行するやも。。。

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2015.03.02 Monday

ルールに守られた商い?

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

最近、NHKの受信料について疑問がわいています。

NHK受信料、テレビのない世帯からも? 不公平な負担

http://www.nikkei.com/article/DGXZZO83703120W5A220C1000000/

 

一言で言えば、ネットにつながる環境さえあれば受信料を払うことにしようとしている。

ネットに接続できる端末を持っていなければ生活に少なからず支障が出る現代社会で、放送法を盾に利用者全体に負担させるやり方は商いと言えるのだろうか?

 

むしろ、放送税といったほうが正しいような気もする。

一体どのような権利があって人から一方的にお金を徴収するのだろうか?

 

世の中にはそういったルールに守られた既得権益が多数存在する。

私が知っているものだと、「郵便物の信書取扱い(郵便局以外には規制が多い)」「新規貸本屋の参入障壁(2000年以前からの貸本業者は使用料免除)」などがある。

 

ルールに守られたものでも、知的財産は別だ。

特許だったり、著作権、肖像権や商標などは人、組織、企業の努力の結果だと思う。

 

しかし、他のメディア企業がNHKの真似事でいきなり受信料を請求し始めたらどうなるのだろう。

たぶん間違いなく排斥運動がおこる。

 

もし、NHKのネット配信に伴い、ネット上でも受信料を徴収するようになるのであれば、まずはスクランブル放送をテレビも含めて取り入れて「NHKを見ない権利」の議論をするべきだろう。

 

ではでは