みなさんこんばんは、代表の前田です。
今日はお昼に出かけた先で変わった出来事があった。
学生たちが談笑しながら歩いているところに、中年と思しき男性が大きな声で悪態をつきながら足早に集団を抜き過ぎ去っていった。
丁度私はその時反対方向に歩いていたため男性を避けつつそのやり取りを見ていたわけだけれど、大人げないなという印象しかなかった。
勿論通せんぼするように横に広がった学生たちに非がないわけではないけれど、唐突に悪態をつかれるほどでもない。
実際、当事者だった学生たちは自分の親位の人間が突然癇癪を起されて戸惑っていたように見えた。
突然爆発したように怒鳴った余裕のない世代、怒鳴り声に驚いて顔を見合わせていたゆとり世代。
そんな世代間の感性の違いを推敲してみた。
今の学生たちの大半はゆとり教育を受けたゆとり世代(私もこれ)で、怒鳴ったり怒鳴られたりという経験がそれほど多くないと言われている。
その上、うちとよその区別がより限定的でよそへの警戒心が強いらしい。
ではゆとり世代の扱いに苦労していると言われる、より上の世代の人たちはどうなのだろうか。
この層は良くも悪くもバブルを経た方ばかりで、厳しい競争を勝ち取ってきた自負心があると推測できる。
そのため怒鳴り怒鳴られが日常にあって、細かい機微に非常に神経質な人も中にはいる。
そしてイライラを助長する夏の暑さ。
怒鳴りたくなる気持ちも多少は理解できる。が、思うだけなのと実行するのは雲泥の差だ。
どんな事情があるにせよ公共の場で怒鳴ったという客観的事実は変えられない。
周囲から白い目で見られることを恥に思うなら、怒鳴る行為はあまりお勧めしない。
急いでいるなら「申し訳ないが、急いでいるので道をあけてくれないか」くらいの断り方があってもいい気がする。
それが、年上としてかっこいい姿じゃなかろうか。
若くて格好悪いゆとり世代からの提案である。
ではでは
今日の本は、「職場を悩ます ゆとり社員の処方箋」です。
ゆとり世代の『脆弱性』にばかり目がいきがちだけど、世代に限らず働いている人は承認への欲求が存在している。
ゆとり世代はその承認欲求に殊更飢えていると言っても過言ではない。初めはろくに電話番も出来ないお荷物に感じるかもしれないけれど、出来る仕事が増えていくにつれて認められることにどん欲になっていく。
入社してすぐやめるという事例も、入社前の歓迎ムードから一転して無能扱いという否定に過剰反応しているだけなのでは?
まあ落ち着け、って感じの周りの空気には一体感があったよね(笑)
一体感が確かにあったね。
まあ、早歩きの人からすれば進路を塞ぐ人を邪険にする気持ちはわかるけどね。