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2014.04.15 Tuesday

ジンセイはままならないものだ

みなさんこんばんは、代表の前田です。

 

今日も春らしいいい天気だったけれど、私は未だにマスクが手放せない。

実用性よりもお守りに近い感覚だけれど、おかげでくしゃみの連続からは逃れられる。

 

さて、今日はお店に宗教勧誘の人が来た。

トンデモ論法に対抗してトンデモ回答で即刻帰ってもらった。

置き土産にパンフをおいていったが即ゴミ箱へシュート。

 

相変わらず私には理解できない論法で勧誘してくるが、彼らにもノルマがあるのだろうか。

より多くの人を引き込めたら昇格とか尊敬を集められるとか?

 

一見お金が絡んでいないように見えるけれど、ホスピタリティの究極形は宗教と言われる。

奉仕を求められるものと金が無縁なわけがない。

本当に無償の愛なら、寄付や喜捨などを求めること自体おかしいということになる。

 

精神的なつながりもいいが、人はパンも食べなきゃ死んじゃうのだ。

私も霞だけで生活できれば出費を節約できるけれど、ジンセイはままならないものだ。

 

…私は宗教自体を否定していない。

ただとりわけ人を勧誘する宗教は、人助けというお題目で人から支持やお金を集めている。

 

それが気に食わない。

 

本当に信じるに足る宗教なら、勧誘なんかしなくても信じる人は増えるでしょうに。

宗教とお金の関係は切っても切れないものだ。

 

ちなみに仏教関係のお坊さんの金回りについてはこの本がお勧め。

 

「ぼうず丸もうけ」のカラクリ

 

つまるところ、 隣の芝生が青く見えるのは人間の性だ。

 

ではでは

コメント2件 “ジンセイはままならないものだ

  1. 姉貴

    宗教怖い。おねえちゃんはいつも「私が神です。」って言ってその場をきりぬけてる。

  2. 前田

    私は駅とかで待ち合わせをするとそこそこの確率で勧誘される。
    ただ神を信じましょう、なんてばかばかしい。
    自分自身を信じるほうがよっぽどましだ。

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