みなさんこんばんは、代表の前田です。
最近とみに暑くなってきました。汗をぬぐうタオルがほしいくらいです。
さて、先々日付加価値の重要性をお話しましたが、今日は付加価値の幻想についてお話します。
皆さんは商店街の商品が、高いなと感じたことはありませんか?
事実、300円~500円台で十分な弁当が手に入るコンビニの価格に慣れていると、それよりも値段が100円高い商店街の飲食店を利用する気持ちになれないと思います。
私も人のことは言えません。安くご飯が食べられるのであれば、そうしたいです。
お客さんの集客力が高い店舗は価格を下げてお客さんを逃がさないようにすることができます。大きくなったチェーン・フランチャイズがそのよい例でしょう。
一方でお客さんの回転率が低い店舗は価格設定を少し上げることで客単価を上げる必要が生まれます。
売り手の勝手な言い分で申し訳ないのですが、価格を上げて少ないお客さんでも経営が成り立つようにしているわけです。
しかし只高くしているだけではお客さんはどこかへ行ってしまいます。
高いなりの理由、つまり付加価値が求められます。
しかし、付加価値に注目が集まり、付加価値による価格差別化・差別化されたサービスの平準化を繰り返して、付加価値の価値が低くなってしまいました。
今度は価格破壊的イノベーションが持て囃され、逆に商品・サービスのデフレが進んでいます。
私のような物販店はネット上の競合が始まっています。
ネットショップの発達に伴い、商品を消費者がネットで閲覧・購入できて実店舗でものを買う必要性がなくなりました。
古本の例を掲げるとアマゾンのマーケットプレイス(中古販売)で大きな資本や規模を有する企業が一円出品であっても商品回転率を上げることで配送料の差額で利益を上げる仕組みを作りました。
その結果多くの消費者はアマゾンの中古価格が市場価格であると印象付けてしまいました。
人から聞いたお話ですが、ある古本屋で「アマゾンでこの価格なのに、この店はこんな高い値段を付けている!値下げしろ!」と店員さんに怒鳴ったお客さんがいたそうです。
買い手がいいものを安く買いたいという気持ちがあることは良くわかります。
しかしアマゾンで一円で出品されているからと言ってこちらが一円で売る義務はありません。
売り手はいくらで売るかを決める自由、買い手はその価格で買う・買わない自由があります。
売り手寄りの考えを持つ古書店の独り言です。
ではでは
今日の本は、「渡邉美樹のシゴト進化論」です。
チェーン化が困難と言われた居酒屋で価格破壊的イノベーションを生んだ和民グループの会長、渡邉美樹の仕事における価値観がまとめられております。
日本のブラック企業の代表格とも揶揄されがちな和民ですが、それでも多くの就業希望者がいるということは一種の宗教の様な怪しさを感じてしまいます。
ビジネスはきれいごとだけではうまくいきません。冒険や危うさを常に抱えているのが実業の世界です。しかし、だからと言って法律を違反する行為を行ったり、ライフワークバランスが無視されるのを当たり前と考えるのは異常と言えます。
仕事はあくまで生活を持続するための経済活動の一つです。
たしかに売り手が価格を決めていいはずなんだけど、「同じ会社からのまったく同じ商品を他の何倍もの値段で売る」って聞くと詐欺みたいだよね。アマゾンさんは強敵だわー、そしてたまにお世話になっていますw
配送料の差額で利益が出てしまうほど価値が認められない本が大量にあるということです。
いっそ捨てた方が書籍本来の価値を再評価できるかもしれません。