こんばんは、ちゃっぴーです。
前回に引き続き、「私自身」について書いてゆこうと思います。
復帰したとはいえ完全に学力で出遅れてしまった私を高校はお情けで卒業させてくれました。曲がりなりにも進学校でしたから、留年生がいないという体裁を取り繕いたかったのかもしれません。
むしろ卒業できないまでに低下してしまった私の学力が問題だったのだと思います。
そんな状態で大学進学などできるはずもありません。しかし、両親は高卒という経歴で私が就業するのは私のためにもならず世間にも迷惑だ、と考え大学進学を勧めました。
私は近所の進学塾へ通うことになりました。そこは大変熱心な講師が何人もいて、非常に優れた塾だったと思います。授業に遅れがちな私に対しても個別に手紙を下さるなど、「個」を重視した指導でした。しかし、高校三年間で身についてしまった学業への忌避感は拭えず、また熱血への反目も大きく、結果として2か月と持たず私は宅浪へ方向転換することになります。
センター試験の結果は惨敗。総合点が1年前とほぼ同じであったことからも自分の腑抜けさがにじみ出ています。
もう駄目だ。そう思っていた時に、父親が新聞の広告から適当に探し出したのが、地方の私立大学でした。「国際化」を謳った数少ない大学です。
偶然にも試験の水準は満たしていたので、センター試験の結果を利用した筆記試験を受験し、まさかの合格。
私は、地元の大学も合格したのですが両親に相談したところ。
「家にこもっているよりずっといい」
とあえて新天地を勧めてくれました。中途半端に自分を知っている人がいる環境にいるよりは、良い療養にもなるのではないかと病院の先生も勧めてくださいました。
これが今の私を支えている大きな転換点になりました。
他人の自慢話ほどつまらないものはないと思うので、省略しますが、私は周りの人から大きな励ましをいただき、素晴らしい大学生活を謳歌できました。
高校時代の頃とは比較にならないほど前向きな性格になり、能動的に活動することが多くなりました。
未だに両親に迷惑をかけていることに変わりはありませんが、それでも今の自分にできることをしようと社会の役に立つ起業を目指すことになりました。
「公私の分別ができない」「引っ込み思案」「礼儀知らず」かつ「独りよがり気質」が未だに残っていますが、そんな人間でも独立開業できるという結果が出せれば、社会に貢献できるモデルケースが一つ増えるわけですから、成功できるよう頑張っていきます!
次回のテーマは「必要な情報をネットで」です。
ではでは