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2012.10.18 Thursday

繰り返す日常と「よそ」と「うち」

みなさんこんばんは、ちゃっぴーです。

数日前の晴れの日々の反動か、ジメジメした日が続いています。

さて、今日は美容院の人とした会話から勝手に妄想したことについて話したいと思います。

美容師の方と話をしていた時、お店のことを紹介させていただいたのです。
その時の反応が

「ちょっと遠いですね」

でした。
確かに近いとは言い難い距離ですが、徒歩15分程度というのはそれほど離れているものなのでしょうか。

しかし、美容師さんの話を聞いているとこの人の行動範囲がやけに狭いことに気が付きます。

これにはちょっと驚きです。
私も保守的な人間ですが、それでも街中の散策くらいはします。

(注意*ここから私の想像です)

しかし、最近の人はそれすらしたがらないのではないかとふと不安になったわけです。

必要最低限、自分の知っている、不自由しない程度の範囲の中にずっといるような生活をしているのではないか、と。

私にしてみればそれは世俗を捨てた世捨て人のように見えてしまうのです。

自分の知らない範囲を「よそ」と判断してそこにはいかない。「うち」の中で生活する。

「よそ」には興味ももたない。

それは非常にさびしいことのように感じてしまうのです。

私も、見ず知らずの人と会話することには非常に抵抗があります。出来ることなら閉じこもっていたい気分になることも往々にしてあります。

しかし、それでも交流をしようと考えるのは、単にそこから「よそ」がどんどん「うち」に変わってくる実感があるからです。

自分の世界を広げていかなければ、結局自分自身の了見が狭いままになってしまう。

そういったことが嫌なのかもしれません。

……とまあ短い会話の中でいろいろと考えてしまいました。

誤解なきように伝えておきますが、この美容師さんは私なんかより全然充実した生活を送っていると思います。

私がこの美容師さんの言葉を額面通りに受け止めて、そういった人生というのを想像して物思いにふけっただけです。

ではでは

コメント1件 “繰り返す日常と「よそ」と「うち」

  1. 姉貴

    地元こそガイドブックを参考にするくらい発掘するべきだよね。もったいない。そりゃあ帰国する度に決まった場所で買い物や食事をしちゃう自分も人のこと言えないけど。

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