みなさんこんばんは、代表の前田です。
ここ数日、よく言えば落ち着いた、悪く言えばほぼ変化のない生活をしている。
とはいえ、身体的には消耗しているようなので、下手に行動を起こすのは難しい。
今は鋭気を養うことが先決だ。
そんな昼時にふと道の看板を見たらそこかしこに求人の広告が。
なんでだろうと思っていたけれど、3月から4月にかけて大学の学生が大きく入れ替わることを思い出した。
アルバイトも人手が足りないのだろう、時給が高いものばかりだった。
気になるのは、時給の格差がとても大きいこと。
同じ道路上の飲食業でも、昼間870円~1150円まである。
釣る餌がなければ人は集まらないけれど、時給の固定化を覆すべきかもしれない。
仕事量に応じた報酬がなければ、仕事に対する動機づけが薄れる。
新人もベテランも賃金が同じだと、ベテランは不平等さを感じるだろう。
新人は仕事ができないからとベテランに仕事が集中してしまったら、ベテランの不満はたまる一方だろう。スキルは向上するが、待遇は決して改善されない。
こんな仕事場には一部の有能ベテランと大量の新人が入れ代わり立ち代わり出入りする構図になる。
新人が入れ替わっている分には大した問題にはならないけれど、有能なベテランが一人いなくなると途端に事業が立ち行かなくなる。
時給換算による結果平等がアルバイトの労働条件であり続ける限り、労働量の不平等による人の流出は止まらない。
ではでは
今日の本は、「ぼくたちの値段」です。
真面目にやっても、適当にやっていても仕事の報酬が変わらないのであれば、真面目にやる側がまるで愚かのように思い、仕事に対する姿勢を鈍らせる人間がいるが、自分自身の安売りをしていいことは何もない。
最後のってつまり頑張っても給料変わらないところならやる気出しても
自分の安売りになるから適当にこなすか給料いいところ探せってこと?
給料変わらないからって言って自分で手を抜くことを覚えたらもっと値踏みされて自分の価値を下げることになる。
とはいえ、アルバイトに限って言えば真面目でも不真面目でも時給はほとんど変わらないから姉貴のコメントは的を得ている。