みなさんこんばんは、ちゃっぴーです。
前回か時間が空いてしまって申し訳ない。ちょっと野暮用で家にいませんでした。すみません。
今回は、「私自身」についてです。
つまらない上に非常に長いですが、どうかお付き合いください。
私は、新しい年号ができた年に生まれました。
親の話では私がおなかの中にいたころは「女の子」だと思っていたらしく、実際男の子が生まれたときは、大変びっくりしたそうです。
そして、言葉を覚え始めるであろう2歳のころ、親の異動で急きょ海外での生活が始まります。私はそれほど覚えていないのですが、3年間の滞在で私はかなり口数が少ない(しかし泣き虫な)子供だったそうです。
どうやらこのころ、両親は私の知恵おくれを心配したそうです(結果としてそういうことはなかったようです)。
私が地元の幼稚園、小学校に通学してから、私は半いじめの対象として周りからからかわれていました。私の容姿、生活態度がちょっと変わっていたからだと思います。甘やかされて育った、というべきなのでしょうか。食生活もかなりいびつだったと思います。それが容姿の特殊性と相まってかなりいじられました。多分私を中傷するあだ名は100種類ぐらいあったのではないでしょうか。
このころ、私は完全に自分の容姿に自信を無くしてしまいました。
中学に進学し、私はいじめに対し反発するようになりました。攻撃的になり、あだ名ひとつで激怒する「キレやすい子供」でした。しかし、それでも皆から距離を置かれなかったのは、当時にしては珍しく「進学塾」に通っていたからだと思います。また、小学校のころに反して、様々なことに能動的に活動していました。マイナーな文化系部活動を3つも兼任し、そのすべての部長も担っていました。
しかし外に出るのは苦手で、昼休みは図書館で小説(今でいう「萌えがないライトノベル」でしょうか)を読んで悦に浸っているような日陰人間でした。
その結果、決して人気者ではありませんでしたが、自由な学生生活を過ごせていたと思います。
私はその後、塾通いの成果もあり地域で有名な公立校へ進学することができたのですが、これが自分の転落につながってゆきました。。。
地元の中学でのんびりやっていたころとは違い、高校にはいわゆる「優等生」しかいませんでした。優等生の集まりでしたから、いじめなど起こるはずもありません。元々社交性に乏しい上に学力もない私は同級生たちとの接点が全くなく、気が付いたらクラスで独りぼっちになっていました。
誰もが優等生のあまり、私を「そっとしておいて」くれたのです。私も変に粋がって自分から声をかけるようなことはしませんでした。
そんな中、私の高校生活の数少ない救いが部活動でした。学内でも有数の人数を持つクラブで、同じクラスにも何人かメンバーはいました。そこから私はクラスへの交友範囲を広げられたらと思い、そういったメンバーに声をかけるようになりました。そしてサークルの新歓や打ち上げなど、積極的にイベントに参加しました。
ある打ち上げの帰り、私は偶々同じクラスのメンバーと二人で帰路に就くことがありました。何か楽しい話でもして会話を盛り上げられたらよかったのですが、話ベタな私は沈黙しかできませんでした。
その時、メンバーから言われたことを私は今でも覚えています。
「あのさ」
「ん、なんだい?」
「教室では、俺に絶対話しかけるなよ」
「…………わかりました……。」
確かに、彼にとって部活動でつながっている以上の関係を教室で持ちたくないという気持ちがあったのでしょう。彼はとびぬけて優秀でしたし、私はただのぼっちでしたから。
しかし、私はこのころから学校に行くことが臆病になりました。部活動以外では全く会話をしない同級生たち、校内庭園で一人で食べる弁当、ついていけなくなってしまった授業内容…。
私はついに学校をずる休みするようになりました。家を出て学校に行っても体調を崩してお手洗いから出られないので、近所のコンビニを探し時間をつぶす。そのまま街中を徘徊し、夜中に帰宅するということもありました。学校からも通学していない旨の連絡を受け、私は不登校を親に知られてしまいました。いよいよ両親も私の不調に疑問を抱き始めました。
紆余曲折を経て、私は大きな病院で通院することになりました。「自律神経失調症」と病名がつけられ、3年ほど通うことになりました。
この間、私は両親と学校に復帰するためのリハビリに取り組み、父の努力の甲斐あって何とか高校卒業までこぎつけられました。
通学リハビリ、カラオケ、ジョギング、バドミントン、ボーリングなどほとんど遊びばかりでしたが、私が少しでも社会復帰できるようにと、両親がつきっきりで相手をしてくれました。
この時の父親の努力と母親の愛情のおかげで、私は両親に対し尊敬の念を抱くようになりました(もちろん直接言う気はありませんが)。
このあと、1年の浪人を経て、地元から離れた大学に通うことになるのですが、今回は高校卒業まで。
次回はこの続きです。
ではでは